日本の歴史

鎌倉の歴史をやさしく解説!初心者におすすめの鎌倉入門ガイド

はじめに

鎌倉は東京からもアクセスがよく、古都の風情と海の近さが魅力的なエリアです。

豊かな自然と数多くの歴史的建造物が点在していて、観光地としても大変人気があります。

今回は、そんな鎌倉にまつわる歴史を初心者の方でもわかりやすいようにご紹介します!

鎌倉の歴史と聞いて、まず思い浮かぶのは鎌倉幕府ですよね。

源頼朝が武家政権を開いた場所として学校の教科書にも出てきます。

しかし鎌倉の歴史はそれだけではなく、名だたる武将たちが行き交い、仏教が広まった場所としての側面も重要です。

風光明媚な土地に、さまざまな時代の人々が関わってきたからこそ、深みのある歴史が育まれたのです。

今回は、源頼朝による鎌倉幕府の創設から、その後の武家社会、寺院や神社の文化的な側面、さらに鎌倉時代がどのように終焉を迎えたのか、などをざっくりと解説していきます。

ぜひ最後まで読んで、鎌倉の歴史を楽しんでみてくださいね!

鎌倉という地名の由来

最初に、鎌倉という地名について簡単に触れてみましょう!

実は「鎌倉」の名前の由来については、いくつかの説があります。

もっとも有名なのは「鎌」に関わる伝承です。

昔、この地に住んでいた人物が畑を耕す際に使った鎌が倉に納められていたことに由来するとか、「鎌」の形をした入江に囲まれていたからそう呼ばれるようになった、などなど諸説あるんです。

はっきりとした定説はないものの、海に近く自然豊かな土地だったことが「鎌倉」の名にも影響しているのかもしれませんね。

鎌倉時代のはじまり~源頼朝と鎌倉幕府の成立

源頼朝が鎌倉に拠点を置いた理由

鎌倉の歴史を語るうえで外せないのが源頼朝(みなもとのよりとも)の存在です。

平安時代末期、平氏と源氏の争いが激化していく中で、頼朝は流罪(るざい)からの復帰を果たし、東国(関東地方)の武士たちをまとめて平氏打倒を目指しました。

その際に拠点として選ばれたのが鎌倉です。

どうして鎌倉が選ばれたのでしょうか?

まず地形的に見れば、鎌倉は三方を山に囲まれ、一方が海に面しています

いわば天然の要塞のような地形です。

このため防衛に適しており、外敵から攻められにくいメリットがありました

また、関東の武士たちはもともと、平氏政権下で不遇をかこっていた面があり、頼朝が挙兵したときに強力に支援してくれたのです。

こうした背景が重なって、頼朝は鎌倉を中心にして新たな政権を築こうと考えたわけですね。

鎌倉幕府の誕生

1185年(文治元年)に壇ノ浦(だんのうら)の戦いで平氏を滅ぼした頼朝は、1192年(建久3年)に征夷大将軍に任命されました。

これが歴史で習う「鎌倉幕府」の成立とされています!

ただし、幕府の始まりをいつとするかは諸説あり、1185年の段階で事実上成立していたとする見方もあります。

鎌倉幕府は、武家社会の秩序を保ちつつ朝廷との折衝も行う政治体制でした。

朝廷は京都にあり、公家社会が長きにわたって日本を支配していましたが、武家勢力が台頭することで、やがて政治の主導権が武士の手に移っていくのです。

これは、日本の歴史において画期的な転換点といえます!

鎌倉時代の社会と文化

御家人と地頭

鎌倉幕府の支配の要となったのが、将軍を中心とする「御家人(ごけにん)」と呼ばれる武士たち、そして地方を管理する「地頭(じとう)」です。

御家人は将軍に忠誠を誓い、軍役を果たす代わりに土地を与えられる関係でした。

また地頭は、各地の荘園や公領を管理・運営し、年貢を徴収する役目を負いました。

こうした封建制の仕組みが鎌倉幕府を支える骨格となり、武士という新たな支配階級が形成されていくのです。

寺院・神社と仏教の発展

鎌倉といえば、たくさんの寺社が思い浮かびませんか?

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)、円覚寺(えんがくじ)、建長寺(けんちょうじ)など、観光地としても有名な歴史的建造物が鎌倉には数多く存在します。

実は鎌倉幕府成立以降、禅宗を中心とした新しい仏教が盛んに取り入れられ、さらに既存の神社も武士たちの崇敬を集めるようになりました。

とくに有名なのが、鶴岡八幡宮です。

源頼朝が厚く信仰した八幡神を祀る神社で、鎌倉の中心地にあります。

頼朝がこの八幡宮を厚く信仰したことから、武士層の守護神としての八幡信仰が急速に広がりました。

また、禅宗寺院としては北条時頼(ほうじょう ときより)北条時宗(ほうじょう ときむね)によって円覚寺建長寺が建立され、当時の武家社会における精神修養や文化形成に大きな役割を果たしていきます。

武士文化の形成と芸術

鎌倉の歴史を語るとき、忘れてはならないのが武士文化の花開きです。

たとえば武芸だけでなく、和歌や書道、茶の湯など、京都の貴族文化を取り入れつつも独自に発展させた面があります。

寺院を拠点に、禅の精神を基盤に置いた芸術や美意識が育まれていきました。

のちの室町時代、安土桃山時代へと続く武家文化の源流が、鎌倉にあったともいえます!

蒙古襲来と鎌倉武士の活躍

鎌倉時代の中盤、大きな転機が訪れます。

モンゴル帝国の支配下にあった元(げん)が日本に侵攻してきた「元寇(げんこう)」です。

文永の役(1274年)弘安の役(1281年)の二度にわたり、元軍は日本を襲いました。

当時の執権(しっけん)であった北条時宗は、防衛体制を強化し、御家人を動員して元軍に対抗しました。

結果として、日本側は激しい戦いの末に元軍を撃退したわけですが、その大きな要因として、台風による暴風雨(いわゆる「神風」)が元軍の船団を壊滅させたことが挙げられます。

ただし、この勝利は日本側にとって楽観できるものではありませんでした。

戦勝とはいえ、莫大な戦費を費やしたうえ、勝ったからといって新たな領地が得られるわけでもありません。

御家人への恩賞が思うように与えられなかったことなどで、幕府と御家人とのあいだに不満が高まっていくのです。

このように元寇は、日本史上大きな意味を持つ事件でした。

外敵に対して団結したというプラスの面はあるものの、その裏では鎌倉幕府の土台が揺らぎはじめるきっかけにもなりました。

鎌倉幕府の衰退と滅亡

北条氏の専横と御家人の不満

鎌倉幕府で実権を握っていたのは源氏ではなく、やがて執権職に就いた北条氏でした。

初代執権・北条時政、三代執権・北条泰時、そして先ほど登場した北条時宗など、代々の北条氏が将軍を後ろ盾に政治を動かしていたのです。

北条氏は、武士社会をまとめる一方で、自分たちに近い御家人を優遇するなど、強権的な政権運営を行いました。

元寇後、莫大な軍事費がかさんだことや、領地配分の不公平感もあり、多くの御家人が生活苦に陥ってしまいます。

こうした不満が高まり、やがて幕府への反感が強まっていきました。

朝廷との対立と鎌倉幕府の崩壊

鎌倉幕府後期には、後醍醐天皇が皇位に就き、朝廷権力の回復を目指して動き出します。

元弘の乱(1331~1333年)を経て、足利尊氏(あしかが たかうじ)や新田義貞(にった よしさだ)といった有力武将たちが後醍醐天皇に協力し、ついに1333年、新田義貞が鎌倉を攻め落とすことで鎌倉幕府は滅亡します

こうして、約150年にわたった鎌倉の武家政権は幕を閉じました。

その後、後醍醐天皇による建武の新政がはじまりますが、これは長続きせず、やがて足利尊氏が室町幕府を開きます。

武家政権としての基盤を築いた鎌倉幕府は、後の室町・戦国へとつながる重要な時代だったのです。

鎌倉時代が残した文化遺産

鎌倉時代には、数多くの文化遺産が残されました。

先ほど触れた神社や寺院をはじめ、武家文化、禅宗の普及、文学など、当時の影響は現代にも色濃く見られます。

ここでは、その一部をもう少しだけ詳しくみてみましょう!

武家文化の礎

鎌倉時代に形づくられた封建制度や武士道の精神は、後の日本社会に大きく影響を与えました。

武士の忠誠心や名誉を重んじる考え方は戦国時代や江戸時代にも継承され、その精神性は現代の日本人の価値観にも多少なりとも通ずるところがあるのかもしれません。

禅宗寺院と庭園

建長寺や円覚寺に代表される鎌倉五山(かまくらごさん)など、鎌倉には禅宗寺院が多く点在しています。

これらの寺院は単なる宗教施設にとどまらず、政治の場でもあり、文化や教育の拠点でもありました。

禅宗の教えに基づいた庭園は、静寂と自然の美を大切にしており、心を落ち着かせる空間づくりが特徴です。

こうした禅の考え方や建築・庭園文化は、のちに京都の臨済宗寺院などにも大きな影響を与えていきました。

鎌倉彫と工芸品

鎌倉時代に発展した工芸品のひとつとして「鎌倉彫」があげられます。

これは、木地に彫刻をほどこし、漆を塗り重ねる技法で、力強いデザインや繊細な彫りが魅力です。

仏具や日用品など、さまざまなジャンルで鎌倉彫は受け継がれ、現代でも工芸品として人気があります。

また、武士が用いた甲冑(かっちゅう)や刀剣の装飾技術なども、当時の高い技術力を物語っています。

文学・芸能の発展

鎌倉時代は和歌や物語文学なども盛んに書かれました。

特に鴨長明(かものちょうめい)による随筆『方丈記』や、吉田兼好による『徒然草』は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて成立した作品として有名です。

いずれも、それまでの貴族社会とは異なる視点や思想が感じられ、無常観と呼ばれる人生や世の儚さを見つめる思想が色濃く描かれています。

この時代だからこそ生まれた文学が、後世に与えた影響は大きいのです!

鎌倉の名所めぐり!おすすめの歴史スポット

鎌倉の歴史を知ったら、やっぱり現地を訪れてみたくなりますよね!ここでは、鎌倉散策の際に押さえておきたい代表的な歴史スポットをいくつかご紹介します。

  1. 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
    源頼朝ゆかりの神社で、鎌倉の中心ともいえる場所です。季節ごとに美しい自然を楽しめるのも魅力です!
  2. 建長寺(けんちょうじ)
    1253年に北条時頼によって建立された禅宗寺院で、日本最古の禅道場とされています。境内には趣深い庭や仏殿などがあり、厳かな雰囲気を味わえます。
  3. 円覚寺(えんがくじ)
    北条時宗が元寇で戦死した人々を慰霊するために建立した寺院と伝えられます。鎌倉五山の第二位という格式の高いお寺です。
  4. 高徳院(こうとくいん)と鎌倉大仏
    長谷エリアにある高徳院は、鎌倉大仏として親しまれる阿弥陀如来像で有名です。高さ約11.3メートルものブロンズ製大仏は、圧巻の存在感があります。
  5. 報国寺(ほうこくじ)
    竹林が美しいことで知られるお寺です。“竹寺”とも呼ばれ、境内の竹林を眺めながらいただく抹茶は格別なひと時を演出してくれます!

鎌倉の歴史を深掘りしよう!

今回ご紹介した鎌倉の歴史は、あくまでも基礎的な部分をかいつまんだものです。

実際には、源氏と平氏の対立や北条氏による執権政治、元寇の大きな衝撃、朝廷との複雑な関係など、奥深い物語がたくさん詰まっています。

そのひとつひとつを紐解いていくと、まるでタイムスリップしたような感覚に襲われること間違いありません!

鎌倉幕府の150年というのは、日本史全体の中では短いように感じるかもしれません。

しかし、その間に武家政権の土台が作られ、武士の価値観や文化が花開きました。

そして鎌倉には今でも、その時代をしのばせる寺院や神社、街並みが残っているのです。ぜひ実際に足を運んで、歴史を体感してみてくださいね。

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