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エストニアの歴史をわかりやすく解説!バルト海の小国が辿った数奇な運命とは

2025年1月11日

エストニアのはじまりと古代

エストニアに人が住みはじめたのは、氷河が後退した時期にまでさかのぼると言われています。

バルト海沿岸に住んでいた人々は狩猟採集を行い、やがて農耕や牧畜も取り入れるようになりました。

エストニアの先住民のルーツはウラル語系のフィン・ウゴル系民族とされ、フィンランド人やハンガリー人とも言語的に共通点を持っています

エストニア語をはじめとするウラル語族はインド・ヨーロッパ語族とは異なる特徴をもち、音の響きも独特です!

その後、エストニア地域は交通の要衝としての役割を担うようになり、バルト海交易ネットワークの一部となって発展していきます。

紀元前から紀元後にかけての文献は少ないものの、出土品や考古学的調査から、エストニアが遠くの国々とも交流を持っていたことが分かります。

バルト海周辺では琥珀の交易が盛んで、エストニアでも琥珀加工品などが見つかっているのです。

十字軍とドイツ騎士団の時代

エストニアの歴史で外部からの大きな影響が強まるのは、中世に入ってからです。

12世紀から13世紀にかけて、カトリック教会の影響を受けた十字軍が北方の異教徒地域へ遠征し、バルト海東岸の地域を支配下に置こうとしました。

エストニアの人々は当初、大きな抵抗を見せましたが、ドイツ騎士団(リヴォニア騎士団)の勢力拡大により、最終的には支配を受け入れざるを得なかったのです。

この時代、バルト地域の多くの都市では、ドイツ人商人や聖職者が中心となり、キリスト教化とともに貿易や政治が行われるようになりました。

タリン(当時の名はレヴァル)がハンザ同盟の重要な都市となり、商業活動が活発化。

エストニア人は農奴としての立場を強いられた一方で、都市部ではドイツ系住民が大きな力を持つようになっていきます。

この構造がエストニア社会に長く影響を与え、エストニア人の民族意識を育む一因にもなっていきました。


スウェーデン統治期と文化の変遷

16世紀後半になると、エストニアを巡ってリヴォニア戦争(1558–1583)が勃発し、ロシア、ポーランド・リトアニア連合、スウェーデンなどが入り乱れて戦います。

最終的に、北部エストニアはスウェーデンの支配下に入り、南部エストニアはポーランド・リトアニア連合に組み込まれた後、次第にスウェーデンの影響下へとまとまっていきました。

スウェーデン統治期(17世紀前半から18世紀初頭)は、エストニアにとって「善政のスウェーデン時代」と呼ばれることがあります。

実際、この時代には農民の待遇が改善されたり、教育制度が充実したりといった改革が進められ、エストニア民族の教育水準が高まるきっかけともなりました。

さらに聖書のエストニア語訳が進み、民族意識の醸成にも貢献。

都市部ではバロック建築の影響が見られるようになり、エストニアの景観にも変化が表れたのです!

大北方戦争とロシア帝国統治

しかし、18世紀に入るとヨーロッパ北部の覇権を巡る「大北方戦争」(1700–1721)が勃発し、スウェーデンとロシアの激しい争いが繰り広げられました。

結果としてスウェーデンは敗北し、エストニアはロシア帝国へと編入されることになります。

ここからロシア帝国時代が約200年続き、エストニアの歴史にも大きな転換点が訪れました。

ロシア帝国の支配下に入ってからも、エストニアの上流階級や都市部の支配はドイツ系貴族によって担われていました。

農民たちは依然として農奴制に苦しめられ、経済的にも厳しい状況が続きます。

しかし、19世紀に入るとヨーロッパ各地でナショナリズムが高まる中、エストニアでも「エストニア民族覚醒(エステティアン・ナショナル・アウェイクニング)」と呼ばれる動きが起こりました。

知識人や文化人がエストニア語の文学や新聞を発行し、民族の誇りを取り戻そうと尽力!

これらの活動が後の独立へとつながっていくのです。

第一次世界大戦と独立宣言(1918年)

20世紀初頭、ロシア帝国は内部的にも社会変動の波にさらされていました。

1905年の革命の際にはエストニアでも暴動や改革要求が起こり、従来の秩序が揺らぎます。

その後、第一次世界大戦が勃発すると、東部戦線での戦局悪化や国内の混乱により、ロシア帝国は崩壊へと突き進みました

ロシア革命(1917年)の混乱を背景に、エストニアの民族主義者たちは独立を目指す機会をつかみます。

そして1918年2月24日、エストニアは独立を宣言!

これがエストニア共和国成立の第一歩でした。

しかし、直後にドイツ軍がエストニアを占領し、さらにドイツが敗戦すると今度は赤軍(ボリシェヴィキ軍)が侵攻してくるなど、エストニアは再び戦火に巻き込まれました。

それでも1918年から1920年にかけての独立戦争を戦い抜き、1920年のタルトゥ条約によってソビエト・ロシアからの独立を正式に承認させたのです。

戦間期のエストニア共和国

独立を獲得したエストニアは、1920年代から1930年代にかけて共和制国家として歩み始めました。

この時期は国際連盟への加盟など、国際社会の一員として活動を広げ、産業や教育の近代化が進められた時代でもあります。

また、エストニア語を公用語とする国家体制が築かれ、エストニア人の民族意識がさらに強化されました。

しかし、ヨーロッパ全体が第二次世界大戦の時代に突入すると、エストニアは再び大国のはざまで厳しい立場を強いられることに。

1939年には独ソ不可侵条約の秘密議定書によって、バルト三国を含む地域はソ連の影響下に置かれることが決定づけられます。

エストニアは形式上は独立を保っていたものの、実質的にはソ連のプレッシャーを受け続けることになりました。

ソビエト支配とナチス占領

1940年、ソ連はエストニアに軍を進駐させ、傀儡政権を樹立。

エストニアは「エストニア・ソビエト社会主義共和国」としてソ連に編入されました。

この過程で、多くの政治家や知識人が逮捕・処刑・シベリア流刑などの圧政に苦しむことになります。

エストニアの文化や自由は厳しく制限され、一時的にエストニア語の使用も脅かされる状況となりました。

さらに第二次世界大戦中の1941年、今度はナチス・ドイツがエストニアを占領します

ドイツによる占領支配もまた苛烈で、多くのユダヤ人やロマ、そして抵抗者が迫害されました。

こうしてエストニアは短期間のうちにソ連とナチスの二重支配を経験することとなり、住民たちは翻弄され続けます。

戦争末期には再びソ連軍がエストニアを奪還し、戦後はソ連邦に組み込まれた状態が継続するのです。

ソ連時代のエストニア

第二次世界大戦後、エストニアは「エストニア・ソビエト社会主義共和国」としてソ連の一部とされ、そのまま冷戦時代を迎えます。

他のバルト三国と同様に、強制移住やロシア人の入植などが進められ、エストニア人の人口比率は大幅に低下しました。

共産党政権下ではエストニア語・エストニア文化を制限する政策が長く続きましたが、一方でエストニア人の間では民族意識を絶やさない努力も行われていたのです。

1970年代から1980年代になると、ソ連内部でも経済停滞や社会の行き詰まりが顕在化。

ペレストロイカ(改革)やグラスノスチ(情報公開)といった政策の影響を受け、エストニアでも自由化を求める声が高まりました。

バルト三国では「歌う革命」と呼ばれる平和的な独立運動が盛り上がり、エストニアも1988年頃から民衆の大規模な集会が行われるようになります。

そして1991年、ソ連の崩壊という歴史的転換期を迎え、エストニアは再び独立を回復したのです!

再独立後のエストニア

1991年の再独立後、エストニアは民主化と市場経済への移行を急速に進めました。

インフラの整備やIT産業の育成に力を注ぎ、現在では「電子政府」や「デジタル先進国」として名を馳せています。

実際に、個人IDカードによるオンライン行政サービスなど、世界でもトップクラスのデジタル化を実現しているのがエストニアの大きな特徴です!

また、2004年にはNATOとEUの両方に加盟し、欧州の安全保障と経済統合の枠組みに組み込まれました。

歴史的には支配される立場が長かったエストニアですが、再独立後は自らの意思で国際社会に積極的に参画し、自国の文化や伝統を守りつつ、革新的な技術を取り入れながら成長を続けています。

近年はスタートアップ企業も盛んで、SkypeWise(旧TransferWise)など、世界に知られるIT企業を生み出しました。

エストニアの歴史から学べること

このようにエストニアの歴史をひも解くと、大国の狭間に置かれながらも自国のアイデンティティを模索し、幾度となく逆境に立ち向かってきた姿が浮かび上がります。

言語や文化が異なる支配者に翻弄されながらも、それを乗り越えてきたエストニアの人々の姿は、現代にも通じる強いメッセージを与えてくれます。

独立戦争からソ連支配、「歌う革命」を経て、最先端のデジタル国家へと変貌を遂げるまでの物語は、小国ならではの諦めない精神を象徴しているかのようです!

エストニアのように小国がどのように自らの文化を守り、独立を勝ち取り、国際社会の中で存在感を示してきたかを知ることは、とても意義深いことですね。

エストニア人のたどってきた道のりから学べるのは、困難に直面しても自分たちの価値を見失わず、一歩一歩着実に進む大切さ。

そんなエストニアの歴史は、私たちに「どんな逆境も乗り越えられる」という勇気を与えてくれるのではないでしょうか。

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